錦堂 下高井戸店 20101205
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煮魚つけめん 800円



12月は黄金色
人々の心にともし火がともるの
クリスマスは地獄色
資本主義の害毒が街を血の色に染めるの


下高井戸に帰り着くとすでに20時。
やれやれ、と僕は溜息をついた。
家でスパゲティでも茹でるか?
それともパン屋でも襲って路地裏で菓子パンとか。
ハードボイルドなゆで卵をかじる?
でも瑠璃子はスープと肉の恋人ドキドキ
羊グルメの冒険に出かけたい!

なんちってあせる


紅矢の明かりとラーメン大の行列とTaste of Indiaの香りが瑠璃子の食欲を刺激するが、
どうせ外で食べるなら新規開拓して素敵な出会いを求めたくもある。

そこで、下高井戸駅から日大通りを二十メートルほど桜上水へ向けて前進し、意を決して錦堂下高井戸店へ。
「当店自慢の煮魚つけ麺」と看板が出ている。



正直なところ、瑠璃子はつけ麺てものに理解を持ち合わせるほど保守反動の極みではないのよね。

以前友人に連れて行かれたつけ麺の行列店店主に、
「わざわざなぜ別盛りにするのか。いちいちチョボチョボとタレにつけて食する意味が理解できない。瑠璃子が理解できるように、別盛りの理由を簡潔に二文字以内で述べよ(句読点含む))」
といってやったら
「う。」
といったきり黙っていたわ。
それ以来つけ麺は瑠璃子にとっては敵も敵。
店主自らが理解できていないのに、毎日毎日麺とタレを別盛りにし続けているなんて、無知蒙昧な保守主義以外の何者でもないんだから!

で、錦堂。
10名分くらいのカウンターと壁際にテーブルが一脚。
店内はちょうどいい明るさで、意味のない暗闇演出とは無縁なのが素敵ね。

先客が6名程度。みんなつけ麺を食べているので、瑠璃子もそれに倣う。
べ、別に保守的付和雷同主義じゃないんだからねあせる
郷に入れば郷ひろみ、とかいう先人の智恵に倣っただけよあせる


そのうち「煮魚つけ麺」到着。
あら、素敵な匂いに素敵な太麺。
太い麺にはめっぽう弱い瑠璃子。
ラーメン二郎・ラーメン大の太麺調教が行き届いているイケナイわ・た・しドキドキ(///∇//)


ああ、この栄光に満ちた麺の太さを何にたとえましょう。

たとえばそれは春の野で食べたさわやかな水飴の割り箸の先っぽ。
たとえばそれは夏の海の煌く波に浮かんだ割り箸の先っぽ。
たとえばそれは秋の夕暮れの池の小道で拾った割り箸の先っぽ。
たとえばそれは冬のコタツで餅が待ちきれずに咥えた割り箸の先っぽ。

世界中のどんなに偏屈な割り箸だって、錦堂の太麺には親近感を覚えるに違いないわ!


かみ締めると水に締まった小麦の結晶が口の中で秘密の御伽噺を語ってきかせてくれる!
そんなドキドキ色に満ちた旨さ。

割り箸のようなその麺を、割り箸でつまんで数本タレの碗に落としてみる。
豚の脂と鰹節の欠片とチャーシューとシナチクの濃厚な褐色の沼地に沈み行く麺を、
大切なおもちゃを取り上げられた幼児のように切羽詰って掻きだして口に運ぶ。


「あ!」


ああ、ガリレオは正しかった!
そうだ、地球は回っているのだ!
と、世界の真理が腹の奥底で自然に当然のように一瞬で理解できたような、そんな壮大な宇宙的官能!!


つまりね、おいしかったの。

豚骨コクと、鰹やサバの明快なダシと、稲妻のようにはしる酸味とが、味の濃いタレの中で渾然一体となって森羅万象を表象しつくしていたの(ただし実は豚骨の味はよくわからなかったあせる)。

いやあ、これはいい。

もう、なぜ別盛りなのかなんて次元ではない。
宇宙がつけ麺のために存在していたことを理解してしまったのだ。


食卓にはおろしニンニクと七味と酢がおいてあって、それをかけてもよいらしい。

麺を食べつくした後、タレが残った。濃厚というかしょっぱいので、飲み干すのはメタミドホスよりも危険が危ない。

そんなときは恥ずかしがらずに「スープ割りお願いします!」
と宇宙の創造主(店主)に声をかけよう。
スープと「柚七味」を持って席までやってきてくれ、おいしく飲める濃さまで薄めてくれる。


ちなみに夜20時までは無料で麺を大盛りにしてくれるそうです。
いつもは大盛り100円。

いやあ、いつも以上によくわからない内容になりましたが、とにかくおいしかったということを皆さんにお伝えしたい。

ちなみに下の写真は、ホワイトバランスを変えて撮ったものです。
こっちの方が本物の色かも。
でも冒頭の写真のほうがおいしそうよね。


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