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賀川豊彦記念松沢資料館。
中庭が素敵な空間になっていました。右下には何か大きな灰色のものが。もしやあれは・・・!
「誰やねん」「どこやねん」というあなた、知って損はないですよ。




ふらふらと京王線沿線を散歩。上北沢の南口に素敵な教会がありました。
松沢教会。
プロテスタントの由緒ありそうな教会です。入ってみたいな。でも信徒でもないしな。
覚悟がないままに素通りすると、その脇に賀川豊彦記念松沢資料館なるものが。
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おや?
賀川豊彦?
その名は日本史の授業でなじみ深く、敷居が低そうです。
資料館として一般の観覧を受け付けている様子。
よっしゃ、一念発起入ってみました。
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賀川豊彦。
1888年神戸生まれ。早くに父母を失い、徳島の親戚に育てられる。15歳で受洗。
明治学院、神戸神学校、プリンストン大学に学ぶ。
妻ハルとともにスラムでの伝道を行い、労働運動や農民運動を指導。
1960年71歳で逝去。

ウィキペディアを参考に、資料館のパネルを思い出しながら書きました。

資料館にはこうした賀川豊彦の著書や書や原稿や書簡が展示されています。
 熱い人だったのだな、と感心しました。
展示室の脇には室内礼拝堂がしつらえてあり、そこでは賀川豊彦が晩年行った講演のテープが鳴り響いています。
決して気取らないその口調は、軽妙洒脱でありながら信念が感じられました。
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賀川豊彦が住み込みで伝道を始めた神戸のスラム街はひどい状況だったようです。
数千人数万人が狭い日の差さない長屋に密集。焚き付けにするためどの長屋にも戸は無く、冬は身を寄せ合って寒さをしのぐ状態だったようです。
「ここでは喧嘩、いさかい、賭博、酒、そんなものが日常茶飯であり万事である」
賀川豊彦のそのような観察録がパネルに転載されていました。
それがずしんと瑠璃子の心に響きました。
 
ああ。 賀川さんの言葉を正しく受け取っているのかどうかわからないけれど、それはまさに瑠璃子の日常。
なすべきことを持たず、イライラし、当り散らして酒を飲んで。
スラムの人々は己の中にしっかりとした柱を持てずに苦しんでいたという面があったということなのでしょう。
瑠璃子は心の中にスラムを持っていたのね!


賀川さんはそれでどうしたか。彼らの中に入って彼らの細々とした問題を一つ一つ解決していこうとした。
問題を解決するためには、そこに問題があることを認識することから始めるよりほかにありません。
日々喧嘩や酒に明け暮れて荒んだ気持ちを抱えていること自体が問題をはらんでいること、その問題は解決されるべきものであること、その問題の解決にはまずコレコレをし、そしてシカジカにけりをつけること・・・そうした方法論と実践を賀川さんはスラムで伝えようとしたのだろうと瑠璃子は思いました。
だからこそ、のちに賀川さんは、スラムに吹き寄せられた社会問題を、労働争議や農民運動の形に分解・発展・顕在化させ、一つ一つ解決を図っていこうとしたのだと思います。


瑠璃子の日常。そこに潜む心のスラム。
瑠璃子もまずは、心にスラムが存在していることを認識することから始めよう。
きっとそれが瑠璃子自身の幸せにつながるだろうから。
賀川さんにあったキリスト教の精神が瑠璃子にはないけれども、賀川さんの考え方と情熱は瑠璃子にとって非常に有益な示唆となる、そう確信しました。

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資料館中庭の巨大なシャコガイの貝殻。





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