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地の果ての、取り残された町である。

京王相模原線終着駅、橋本。 



 
暇を持て余しすぎた休日。
重い足を下高井戸駅へ進めた。
「ああ!お願い!瑠璃子をどこか・・・どこか楽しませてくれる町へ連れて行って頂戴!!」
気づいたら終点だった。橋本だった。
「・・・そうだ、多摩ニュータウンを歩こう」



京王線は東京都を走る電車である・・・橋本を除いて。
京王相模原線が走るのは多摩ニュータウンである・・・橋本を除いて。

京王線の版図の中で、橋本だけが神奈川県相模原市に属する。
一つ新宿寄りの駅「多摩境」駅は東京都町田市。そして多摩境こそが多摩ニュータウンの最前線にあたる。
橋本は多摩ニュータウンを突き抜けた先の、別の国の別の文脈の町である。


このような哀しい疎外感に耐えきれなかったのだろうか、瑠璃子がふらりと乗りつけた日、橋本は涙の雨に掻き暮れていた。
橋本にはJR横浜線と相模原線も通っている。 
いやむしろ1900年代初頭から、橋本駅は横浜線の駅としてここにあった。
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1965年、増大する首都人口の放水池として多摩ニュータウンが計画される。 
放水池に人口を誘導する放水路が必要だ。
京王と小田急が路線事業を請け負うことになった。

京王線の場合、調布から多摩ニュータウン方面へ分岐する案と、聖蹟桜ヶ丘から線路を延ばす案とがあったそうだ。結局分岐の始点は調布となった。しかし、それでは終点は?
「ま、JRの橋本にでも接続させときゃ いんじゃね?」
橋本のもっと先まで伸ばす予定もあったらしい。しかし冒頭の写真の通り、橋本から先へ線路を延ばすとマンションにめり込むのである。 


公社・公団が主導した多摩ニュータウンでは、京王と小田急は不動産事業を展開できなかった。
つまりニュータウンへの延伸は旨みのある仕事ではなかったのである。
新路線敷設の膨大な借金を純粋に運賃収入のみで返していくのは気の遠くなるような話である。
結局橋本以西へのさらなる延伸は沙汰やみとなり今日に至る。


・・・そんな地の果て、橋本の町は寂しい町であった(雨だから?)。
見るのもつらい消費者金融とチェーン居酒屋ビルヂング。
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何故か大きな東横インがあるが、町には暗雲が垂れ込めていた(雨だから?
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これ以上この町を見るのはつらい。早々に後にすることにした。
橋本駅内の京王線改札へ至るメインストリート。
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この天井の低い通路を歩くと、京王がこの町への延伸をどれほどやっつけ仕事として処理したかがよくわかる気がする。



それでも電車が高架の駅を出た途端に空が広がった。
橋本が平野の町であると実感されるのである。
この解放感は橋本だけのもの。しかし、逆に言えば多摩ニュータウンの風景ではない。
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隣の多摩境駅とのあいだで、電車は多摩丘陵へ突っ込んでいく。
新宿行きの京王線急行は、多摩境駅を通過して南大沢駅に近づいた。
視界を丘が遮り、その丘の上には未来都市の摩天楼がちらつきだした。
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多摩ニュータウン。
橋本が古くから開発されたばっかりに加盟することのできなかった実験都市。

さあ、瑠璃子の本当の旅が始まる。



※多摩歩きの記事はこんなとても独りよがりな内容でぼちぼちと進みます。みなさんどうぞ存分に無視してやってください
※東京―大阪のリニア新幹線の駅が橋本に出来るかもとのことです。ちょっと面白そうな話ですね。