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多摩ニュータウンの朽ちた独立記念碑、南大沢。
この町を語ることは、多摩ニュータウンの苦闘の精神史と、その挫折を語ることに他ならない。






南大沢の自動改札を抜けると夢の国であった。雨の底が鈍く光った。アーチの前に瑠璃子の足が止まった。
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こんなことを言っていいのかわからない。しかし、素直に胸の内を明かそう。
南大沢は、夢、希望、理想、そうしたものを感じさせる町である。
いや、それらが潰えさったあとの「抜け殻」・・・そんな思いを抱かせる町である。


南大沢駅前には、自動車用の道路がない。改札を出ると歩行者専用の大通り。
一部をアーチに覆われた歩行者天国が駅の前を南北に走っている。
恐らくは人間中心主義的な都市開発思想に支えられて建設されたものに違いない。
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この道を北に向かって進んでみよう。見えてきたではないか、尖塔が。
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首都大学東京。かつての都立大学。この大学がキャンパスをここに移したのは1991年のこと。
南大沢駅開業後3年のことである。


そして首都大学東京の門前町として、まるでディズニーのだまし絵のようなアウトレットモールが広がっている。
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何故首都大学東京は目黒区の旧キャンパスからこの地に移転したのであろうか。
いや逆の立場から考えてみよう、南大沢はなぜ首都大学東京を受け入れたのだろうか。
瑠璃子は思う、それは多摩ニュータウンの理想のためであったと。

多摩ニュータウンとは東京の衛星都市として開発された町である。この町に住む一家の大黒柱は日々都心へ出かけ、一家の主婦は息抜きとして都心に遊び、一家の子供たちはより良い教育を求めて都心の難関校へとのめりこんで行く。彼らの目と耳と心はすべて都心のある東方に向けられていた。

だが、開発から20年が過ぎて、ようやく京王相模原線が多摩センターから南大沢まで延伸されたとき、彼らは初めて気づいたのである、自分たちの西側に広大な無垢の土地が広がっていることに。
「我々はいつまでも汚い東京の奴隷じゃない!」
「我々は多摩ニュータウン市民なのだ!」
見出された新たな大地は大いなる期待を背負わされることとなった。
南大沢に、多摩ニュータウン自身の理想、希望、夢が描かれることになった。
誰もが安心して歩ける歩行者天国。休日ごとに笑い声がこだまする幻想的な商業施設。
「我々は学問の最高学府も手に入れたい!」
かくして大学がこの地にもたらされた。



それにしても、なんとも哀しくなるような卑小な建築ではないか。
まるで書き割りのような哀れな姿に思えてしまう。
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つまりである。瑠璃子はこう思うのだ。
南大沢とは、多摩ニュータウンが一個の独立都市たろうとした苦闘の精神史そのものである。
ただし、夢や希望や理想は、具現化した途端陳腐化してしまうものである。
この雨降り籠める町は、今は精神の残滓が漂うのみなのである。


ま、箱物はともかく、この広々とした潔い「未来都市感」は好きなんですけどね。歩行者天国からみた光景です。
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