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夏祭りは、いつも瑠璃子のすぐそばをすり抜けていきます。
「あ・・・お祭りやってたんだ・・・」

なかなかその輪に潜り込めないまま、今年も盆踊りの喧噪が脇を通りすぎて行きました。


 


疲れた足を引きずり寓居へ帰らんとするに、ふと用事を思い出して明大前で降りる。
すると、明大前の改札前広場は、盆踊りの真っ最中でした。
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「わあ・・・明大前って、大学生以外にもこんなにたくさんの人がいて、町内会の夏祭りを挙行する気概に満ち溢れてたんだ・・・」
その輪に交じって踊ってみたいと思いましたが、瑠璃子は一度もまともに盆踊りを踊ったことがありません。 
声には出さずに頭の中で、炭坑節や東京音頭を低く口ずさんでみました。
すると、郷里の小学校・中学校の同級生の顔が浮かんでくるような気がしました。 


夏祭り。
未だにどうにも対処が分からない行事ではあります。
昔から集団で何かに取り組むのが、どちらかといえば苦手。
町内会の夏祭りにも積極的には参加できない。
それでいて楽しげに祭りの準備をする人々の笑顔には「いいなあ・・・」という羨望を感じていました。
疎外感?どうでしょう。そうかもしれません。
一歩踏み出す勇気の欠如といったところでしょうか。
でもきっと、思い切ってその仲間に入っても、沢尻エリカ様的に「・・・別に」なんて気取ってしまうような。
何とも処理しがたい、集団行動への憧憬と嫌悪。



明大前の用事を済ませて下高井戸まで住宅街を歩いて帰りました。
角を曲がるたびに踊りの音頭が遠ざかっていきます。
ドンドンとお腹に響いていた太鼓の音も、今や甲州街道の車の向こうにかすかに聴こえるかどうかというくらいです。

死者を弔うのが盆踊りのもともとの意味だとして、今生きる全員がいずれは死者になるのだと考えれば、盆踊りは自分のための生前葬に類するのかもしれません。
「死ぬときは家族や友人に暖かく見送られたいなあ」
遠ざかりゆく明大前の夏祭りが瑠璃子をすっかり感傷的にしました。


その時。 
今度は進む先の方から音頭が聞こえてくるではありませんか。
ああ、そうでした、下高井戸でも今日はお祭りだったのです。
下高井戸サマーフェスティバル。

会場に近づくにつれ、ニコニコとした子供たちや大人たちの人通りが増えてきます。
いつもは閑散とした月極駐車場に櫓が組まれ、露店が立ち並び、下高井戸の町中から人々が集まっていました。
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「まいったわねえ」
己の涙腺の緩さに瑠璃子は苦笑しました。
下高井戸の祭りの輪にも瑠璃子はやっぱりなかなか入り込めはしないけれど、集まっている人々の笑顔やその賑やかさに、何だかほっとすくわれるような気がしました。


それでもやっぱり帰り道は寂しいもの。
集まった人々は三々五々帰途につき、最後は一人一人になって家に帰り着くのです。

おもしろうてやがてかなしき夏祭り

でもやっぱりお祭りってなんだか良いかもしれません。
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ところで炭坑節や東京音頭って、本当に息が長いですねw
22世紀になって、今の人間が誰もいなくなっても、夏の祭りには炭坑節がかかったりして。