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用ありて広島へ。
何年ぶりのことでしょう。
10年?15年?2度目の訪問。前回の記憶は厚い靄の向こう側。

・・・ああそうでした、この姿でした、原爆ドーム。
・・・そうでした、この川のほとりにそびえていました。

こう言うのが不謹慎にあたるのかどうか。
世界一有名な廃墟は、とても優美でした。




何故でしょう。
これまで滅多に広島を訪れなかった理由は。
書物の中でだけ知る、歴史上の夢幻の町。
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岡山を訪れたことは数知れず。
博多もまた然り。
その中間に位置する広島は、過去わずかに1度だけ。

青春18切符で地べたを這い回る瑠璃子にとっては、ちょうど行きにくい距離だったんですよね。
岡山ならば関西を出てちょうどお昼ご飯の町。
博多なら関西からぎりぎり晩ご飯の町。
広島はその中間にあって、下車の踏ん切りがつきづらい。

原爆の町だというのも心に重く引っかかっていました。行けば必ず厳しい世界を突きつけられる。

結果長きにわたって広島の具体的な姿を知らないままでした。
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遠い昔、小学校で暗誦した原爆の物語にこんな一説が出てきたおぼろげな記憶。
「紙屋町の焼けた電車の中に、お父さんの靴が転がっていた」

その紙屋町が中国地方随一のこんな大繁華街だったとは。
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そして、その焼けた電車の後裔たちが、新旧様々な姿で街中狭しと疾駆していようとは。
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蛇のような長大で新しい車両も。
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ここは広島という独自の文化圏なのだなあという深い感動をお腹の底から湧き起こさせる、そんな確固たる自信に満ちた巨大都市でした。



そのほんの60年前がこれ。
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平和記念館は入場料がわずか50円。
各国語のパンフレットが置かれています。
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そして館内には世界中から観光客が訪れていました。
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薙ぎ払われた町の模型や被爆写真は、人の心を圧倒的な力でこじ開けてきます。
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いろんな感情と思いが胸に湧きおこる記念館でした。
「笑っちゃうくらい皮肉ね!原子力の恐ろしさを知っていたはずの国が技術のおごりの果てに今原子力に苦しめられている。はは、人類史上まれに見る絶望的な暗愚国w」
「原子力の平和利用と原子力兵器とを混同してはいけないでしょう」
「その二つ、区別できるのかな。平和利用の象徴である原発にこの国は苦しめられているというのに」
「たしかに難しい。でも常に人類は未来に希望を信じなくては生きてはいけないものなのよ。『長崎の鐘』で有名な長崎の被爆者・永井隆博士は原子力の素晴らしさを知る放射線医学の専門家だった。と同時に彼は原子爆弾ですべてを失った。その彼の結論。原子力の平和利用を通じて世界文明の未来を切り開こう。って。」
「う~ん・・・。どんなもんかしら。でも、それがものすごく重い覚悟の言葉だっただろうことに違いはないでしょうね・・・」


雑多な思いを胸に建物の外へ。太陽がまぶしい。
1945年8月6日8時15分にまつわる哀しみの物語が何万とある。
しかし翻ってみれば誰しもの命が有限。
生きねば!との気持ちが溢れ、踏み出す一歩が大きくなりました。

死者の記憶が、生者を生かす。
広島は美しい町でした。